日本で社会や歴史を学んだことがある人なら、近代史において出てくる「自由民権運動」という用語は聞いたことがあるはずだ。
それだけ有名な用語なのだが、その中身は?と聞かれると、ちゃんと答えられる人は少ないのではないだろうか。
自由民権運動について、要点をおさらいしてみよう。
自由民権運動の目的とは
自由民権運動は、板垣退助らによって行われた運動だ。
1874年、板垣退助が国会設立の意見書を明治政府に提出した。
これは、「民撰議院設立建白書」と呼ばれるもので、その名の通り、国民が選んだ議員による議会を設立することを主張するものだ。
この意見書を発端として、自由民権運動が始まった。
自由民権運動の目的は、それまで官僚によって行われていた政治を国民によって選ばれた議員が行うようにすること。
つまり、国民に参政権を与えることだ。
もちろん、そんなことを時の政府がすんなりと受諾するはずもなく、色々と弾圧などもあった。
だが、紆余曲折を経て、1889年、ついに大日本帝国憲法が制定されるに至った。明治22年のことである。
日本には憲法がなかった?
実は、自由民権運動が行われるまで、明治政府には憲法が存在しなかった。
現在の感覚からすれば驚きである。
ここで、明治政府の成り立ちについて少し見てみよう。
明治政府は、1867年の大政奉還によって政権が朝廷に返上されたことにより誕生した。
江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が朝廷に政権を返したのである。
つまり、政治の主体が幕府から朝廷に移されたことにより、明治政府は誕生したのだ。
しかし、そのころ、憲法がなかった日本は、欧米各国との交渉で不利になった。そういうこともあり、憲法を作ろうという機運が高まったようだ。
1871年には、岩倉使節団が欧米に派遣され、憲法の研究が行われるようになった。
その研究の最中に、国民によって政治を行うべきではないか、という考えが生まれるようになったようだ。これが、自由民権運動へとつながっていく。
つまり、欧米の憲法を調査するうちに、国民を有権者にするという思想が生まれ、その思想により自由民権運動が起こり、大日本帝国憲法が制定されるに至ったということ。
これにより、明治政府は憲法を持つに至ったわけだ。
参考資料:
池上彰、『政治のことよくわからないまま社会人になった人へ』、海竜社、2014年2月28日